法学入門6 「推定する」と「みなす」の違いと使われ方

1 はじめに

法律の条文を読み解くにあたっては、法律用語の意味や使われ方を知らなくてはなりません。法律用語の意味や使われ方を知らずに条文を読み解こうとすると、そもそも読み解くことができなかったり、間違った読み解きをしてしまうことになりかねません。

しかし、こうした法律用語の意味や使い方について教わる機会はそうそうありません。そこで、弁護士である私が、初学者向けに法律用語の意味と用法を解説していきますので、この機会にみなさんも法律の読み解きができるように法律用語を学びましょう!今回取り扱うのは「推定する」と「みなす」です。

2 「推定する」と「みなす」の意味

(1)推定とみなすの意味

「推定」は、法令の取り扱い上、こうだと一応決めておくことを意味します。これに対して、「みなす」は、法令の取扱い上、このように扱うと決めつけてしまうことを意味します。わかりにくいと思いますので、次の例をみてください。

  1. 学校を休む場合、朝8時までに連絡がないときにはサボりと推定する
  2. 学校を休む場合、朝8時までに連絡がないときにはサボりとみなす

いずれも、学校を休む場合に朝8時までの連絡をしなければ「サボり」と決めた例になります。朝8時までの連絡を怠ると、本人は決してサボっていなくてもサボったことになってしまいます。

しかし、①の場合は一応こうだと決めたに過ぎないので、実はサボってはいないという反論が可能です。たとえば、「どうしても体調が優れなくて連絡をすることができなかった」と言って、医師の診断書を付ければ、8時までの連絡を怠っていてもサボっていないという認定を受けることが可能なのです。

他方で、②の場合は決めつけてしまっているので、実はサボっていないという反論ができません。上記のように、「どうしても体調が優れなくて連絡をすることができなかった」と言って、医師の診断書を付けても、サボったという認定は覆らないのです。

このように、推定とみなすでは、証拠に基づく反論の余地の有無に違いがあります。

(2)推定の使用例

では、実際の使用例をみてみましょう。

民法772条1項 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。

 懐胎 妊娠のことをいいます。

この条文は、妻が婚姻中に懐胎した子を「夫の子」と推定しています。ですので、実は妻が不倫をしていて本当は夫の子ではなかったとしても、妻から生まれた子は夫の子であると取り扱われます。もっとも、この場合、夫は自身の子であることを否定する証拠があれば、この証拠により推定を覆すことができます。たとえば、夫の子でないというDNA鑑定結果があれば民法772条1項の推定を覆すことが可能でしょう。このように、推定には反論の余地があるのです。

(3)みなすの使用例

みなすの使用例もみておきましょう。

民法721条 胎児は、損害賠償の請求権については、既に生まれたものとみなす。

前提について少し説明が必要ですね。まず、民法上、出産により胎児の全身が母体から排出された時点で人として扱われます。つまり、胎児の時点では、民法上はまだ人として扱ってもらえないのが原則なのです。そうすると、たとえば父親が交通事故で亡くなった場合など、損害賠償請求が問題になるときに不都合が生じます。もし胎児が父親の交通事故の時に生まれていれば、交通事故の加害者への損害賠償請求権を取得できたはずです。しかし、胎児が父親の交通事故の翌日に生まれた場合、胎児が人ではなく権利を取得できない以上、交通事故の加害者への損害賠償請求権を取得できないことになってしまうのです。今の世の中、死産は少なく、妊娠すればほとんどの胎児が無事出産し人として扱われるのに、生まれた日のわずかな差で損害賠償請求権を取得できたり、できなかったりするのは不都合です。そこで民法721条という条文が置かれています。この条文があることで、損害賠償の請求権については胎児であっても「生まれたものとみなす」ので、権利を取得できる人として扱われるのです。

この場合、たとえば交通事故の加害者が「交通事故時点ではその子は生まれていなかったよ」と反論して、その証拠を出したとしても、覆すことはできません。このように、みなすには反論の余地がありません。なお、「みなす」は「擬制」とも呼ばれます。

3 推定と擬制の役割

ここまで読み進めた上で、「なぜ推定や擬制といったものが存在するのだろう?」と疑問を感じた方もいらっしゃるかもしれません。その答えは、現実の裁判にあります。以下ではこの疑問を紐解いていきますね。

皆さんの中には「裁判は証拠がすべて」という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。その言葉の通り、裁判においては証拠は判決の核となります。

刑事訴訟法317条 事実の認定は、証拠による。

この条文は証拠裁判主義と呼ばれる考え方を採用したものだと言われています。裁判所が事実を認定するには、証拠に基づかなければなりません。証拠なくして事実を認定することは許されないのです。そして、証拠によって認定した事実を法律にあてはめるというプロセスを経て、判決を行います。このプロセスの出発点となる証拠は、判決の要となる役割を持っています。ちなみに、民事裁判においても証拠から事実を認定しなければならないので、刑事裁判と同様に証拠が判決の要となります。

これを当事者から見ると、裁判においては証拠を持って裁判所を説得する必要があります。この説得作業を一般に証明と呼んでいます。しかしながら、事件の類型によっては、証拠が残りにくいケースや被害者のもとに証拠が集まりにくい構造になっていることがあります。このように、証拠がないという一事をもって請求を突っぱねることが妥当とは言い難い場合に、証拠による証明を求めるのは必ずしも正しい在り方とは言えません。そこで、法は、推定や擬制を用いて一定の場合には証明がなくても証明をしたのと同様の扱いをおこなっているのです。

以上のように、推定や擬制には証明困難から当事者を救済するという役割を持っていることがあります。